まちは一体だれのもの?はんびらいてみて思ったこと。

まちは一体だれのもの?はんびらいてみて思ったこと。

2016年3月17日
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こんにちは、シーナと一平 おかみの江本です。

ただいま「シーナと一平」は絶賛”はんびらき”中でございます。ゆるっと半分開いています。いわゆる、プレオープンの期間ですが、オープンという単語は使わず、はんびらき。オープンって言っちゃうとオープンになっちゃうから。そんなスピリットでやっています。正式な幕開けは、3月18日金曜日となりました。

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(はんびらき前日に、ご近所の親子10組くらいにに貸切っていただきました。)

まちについて本気出して考えてみた。うそです。ゆるっと考えてみた。
さて、今回は歯切れが悪いです。悪いことをご了承ください。はんびらいてみると、やっぱり友人知人ご近所さんなど、応援してくださる方が毎日だれかしら来てくださいます。本当に勇気をもらっています。「ここはこんな風にしたら使いやすいかも。」「こんなところができてうれしい」アドバイスや感想をいただきつつ、オペレーションや備品をブラッシュアップする日々が始まりました。

そんな中で、なんだかわからなくなったことがありました。それは、「まちは一体、だれのものなんだろう」ということです。「まちの構成員って、だれなんだろう」とも言えます。悶々とし始めたのは、こんな声をいただくから。「知り合いばっかり集まってるだけじゃん」「そんなに内輪感だしちゃだめだよ」「ほら、通行人みたいなひとが大事なんだよ」もちろん毎日、全然知らない方もふらっと立ち寄ってくださいます!でも、そういう反論の仕方はちょっと違うと思いました。わたしが感じる違和感は、そこではないのです。

世界なんて内輪の集まり。
以前、大好きな小説家がエッセイを出版したときに開かれた、ちいさなイベントに参加したことがあります。そのとき、雲の上だと思っていたそのひとに会いたくて会いたくて、荻窪まで馳せ参じたわけです。そこで見た光景は、まぁ、作者の知り合いの多いこと!ここおる20人弱みんな知り合いかい!とずっこけた記憶があります。そのときにぼんやりと、世界は内輪の集合体なんやなぁ。と思いました。想像していたよりも、天の上の人々はずっとずっと生身の人間でした。家族だっているし、編集さんとは仲良しだし、お友達だっている。どの世界だって、きらきらに見えるのはそれが遠く離れているから。でもちょっと一歩踏み出して覗いてみたら、憧れのあの雑誌だって、映画だって、ドラマだって、みんな知り合い同士でつくっているんじゃないのかなぁ。そんなん当たり前や、何を今更って思われてもしょうがない、超初歩的な事実です。いい意味でも悪い意味でもなく、そんな気づきが何をもたらしたかというと、万人に開かれた場所なんてない、という圧倒的な実感でした。

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千葉県から娘さん一家を訪ねて椎名町にいらしたおじいちゃん。

万人に開かれた場所は存在するか。
どんなお店だって、どんなコミュニティだって、どこかのイベントだって、その中のひとを知っている人は絶対にくる。知らない人が見たら、もしかしたらそれはちょっと入りづらいかもしれない。それを批判するひとだって、絶対に出てくる。それが、どこかで噂になる。誰かがどこかでそれを聞いてくる。「おい、なんか言われてるぞ」「なんか変な風に言われてるよ」「”みんな”が、何か言ってるよ」うん、なんかありえそうだぞ。きっとその文句は、それを言っているひとたちにとっての”みんな”つまり”内輪”で盛り上がっているんですよね。
まちは、ひとだと思っています。わたしはそう思います。同じような声もよく聞きます。そうするとさっきの声は、”まちの声”になるのでしょうか。

まちはひとというけれど、それは一体誰ですか。
でも、それは一体誰でしょうか。まちの構成員とは、住んでいる人?そこで商売をしている人?これからも住み続ける人?住んでいるひとにサービスを提供するひと?まちが提供するサービスを、受けるひと? みんな、まちにいる”ひと”です。はやくも前言撤回、やっぱりこうだ。まちはひとと時間である。まちとともにする時間が多ければ多いほど、そのひとがまちになってゆく。引っ越したてのひとが、地元意識をすぐには持てないように。平日は会社、お休みはレジャー。そんなひとがまちに根付かないように。だからこそ、まちに根付く時間を増やす要素になる。それが場を持つものの使命なのかもしれない。

結論。まちのこと考えるのやめました。
と言いつつ、やっぱり、場所の役割とかまちのことを考えるのはやめることにしました。まちの顔を担うのは、飲食店だったりする。たとえば飲み屋のおっちゃん、蕎麦屋のおばちゃん。彼ら彼女らは、まちになろう!と思って店を始めた訳じゃないはず。結局、商売とは、目の前のお客さまを大事にできるかどうか。まちがどうこう言ってみるのもおもしろいものだけれど、そこなんだと思います。わざわざ足を運んでくださるひとりを大切にできるか。「さあまちづくり、まちおこし!」「イベントやりましょー」「えらいひと呼びましょ」あれもこれもやりましょーー!!そんな枝葉に気を取られて、目の前のひとりを大切にできないなんて本末転倒でしかない。

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まだまだ始まったばかりのお宿とカフェでございます。欲張らず、がんばりすぎず、まずは丁寧に目の前のことを。

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